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この花の開花はいつからなのかと何となく気になっていた。
私の記憶によれば7月頃から咲いていたような気がしていた。9月の初旬今頃も咲いている。先日も主人と共に新潟の津川の先三川村の将軍杉を訪ねた。
主人は公民館のカルチャーの講師でここに20数名の受講生と来ている。将軍杉のある山沿いの少し上の木立に、驚いたことに花が黄色いキツリフネソウと薄紅色のツリフネソウが群落をなして咲いていた。
テリトリーは別れているが、同じような場所に咲いているのが珍しくとても面白い。
繁殖する場所も里山の近くだったり。またはかなり標高の高い場所でも見かけることもある。植物の進化は時々奇跡の様なことを演出する。
ただいづれの場所も日当たりが悪い日陰を好むようで
ちかづくと触れた刺激で種がポンポンと飛び跳ねる。
花の姿は清楚で美しい、しかし持ち帰るのが大変、茎が弱くすぐに折れてしまう。数年に一度お部屋に登場するかしないかなかなか難しい花のひとつです。
花器は古銅のつる首が似合うような気がする・・
裏の駐車場の空き地にいつ頃からか葛が侵入し、猛烈な勢いで 繁茂し始めた。私たちは料理の敷き葉としてよく葛の葉を利用する。
生命力が強く、アメリカでは園芸用に栽培したのが野生化して駆除がこんなになるほどアメリカ中に広がってしまったという。
日本ではその蔓が農作業用に使用されたり、葉が家畜の餌として欠かせないものでした。しかし人との関わりあい方が変ると困った事が起きる。
家畜を飼わなくなった途端にやっかいものです。そういえば幼かった頃、自分の家でウサギを飼い、餌として葛の葉をよく与えていた事を思い出した。
根からは良質のでんぷんがとれる。昔は日本中で葛粉を作っていたといわれますがいまは日本の数箇所でしか作られていないようです。
この根が食べられると判ったのは猪が土を掘っているのを見かけたのがきっかけだという言い伝えあります。
そして根から採取した葛粉は漢方薬や、料理素材として日本人の生活を長い間支えてきたのです。
下痢をしたときなどに本葛を呑むと治まります。そして精進料理の胡麻豆腐は葛粉が欠かせない
歌人正岡子規の俳句が印象的です
葛の葉の吹きしづまりて葛の花・・正岡子規
8月も半ばを過ぎ、急に気温が下がる日が続いた 。ここ数日は雨の日が多い。
久しぶりに猪苗代湖近くの湿地を訪ねたら、数年ぶりにサワキキョウに出会った。それもかなり大きな群落です、辺りにはリンドウやミソハギ、ギボウシも見られます。
困った事にサワキキョウは花が青紫の美しい花なのですが独特の匂いがあり、花を折ったりしなくとも近づいただけで独特の匂いがします。
これに良く似た匂いの花があのツリガネニンジンです。
しかしサワキキョウのほうはもっと強烈かもしれません。
花を頂いて車の中に入れようものならエアコンを切って
窓を開けないとあの強烈な匂いが充満します
湿地のある高原の空は雨が止み、暑くもなくすがすがしい空が広がっていました。
積乱雲が沸き立つ頃、山の中で花火が開いたような花を良く見かける。
この不思議な花は何だろうと長い間思っていた。それが春の代表的な山菜「うど」の花だと知ったのは最近のこと。
でも茶花としては用いられたという話は聞いたことがない、この頃になると食用にはならないばかりか「うどの大木」などと言われてしまう。
いつの時代からか、役に立たない人間を「うどの大木」などと比喩して言うようになった。茎は夏を過ぎる頃から木質化が始まり、芯が空洞化してきて冬には枯れ木のようになる。
春、山菜取りの名人はまだ土の中のうどをこの茎殻の辺りを掘り収穫をする。
山の花火が開く頃、里の町々でも夜空に花火が開き、会津の夏が過ぎてゆきます
夏の裏磐梯、暑さを逃れて避暑に来る人が多い今頃に、散在する湖沼群でミソハギの群落をみることができる。
昔は里近くの田んぼのなどにも多く見られたというが、除草剤や電動草刈機などに追いやられ、次第に姿を消しつつある。
お盆の頃に咲くから「盆花」などという地方もあるくらい身近なところに咲いていたのでしょう。細い茎を直立させて枝分かれをしながら、夏の日差しを目指すかのように天に向かって伸びていく。
よくみると六弁の小さな紅紫の花を無数に付けている
よくはわからないが宗教的な儀式に使われたらしく「みそぎはぎ」がその語源だという。
いまのように農家の庭先に多くの花が見られなかった時代はお盆の頃に仏前に供える大切な花だったのでしょう、時代が変り洋花や栽培種の花が増えるに従い
役目を終えて省みられなくなったようです。
花も時代と共に人との関わり方がかわってゆく、この素朴な田舎娘のような花をもちかえり、竹籠の花入れに活けてみると見事なくらいに垢抜けてくる。
*写真提供・・常陸の殿
ビオトープ
昨年の夏、主人は不思議な甕を買い込んできた。大きさが1メートル以上はあるでしょうか。新潟のアクアビジネスの会社が、中国の山の中でつくられた物を輸入しているらしいのです。
大きさもさることながら。側面曲線に沿って地肌に流れる茶色の飴色の釉薬がそれは見事です。相当に大きな登り窯で、それも原始的に焼かれなければ出てこない色です。
友人のティンカーベルという自然食ペットフードとペットホテルなどを経営している方のお店に前に売られていたものだといいます。
その甕の中に池の土を入れて水を張りめだかを放し、睡蓮の花を水中に植え込んでくれた.昨年はこの小さな睡蓮も白い花を咲かせてくれた。
今年は花が見られないが、葉の数が増えたような気がする。その年の冬、厚い氷が張ったのでめだかは死に絶えるたものとばかり思っていた。
ところが6月のある日、睡蓮の葉の辺りに大きいのや
針のように小さいめだかがたくさん泳いでるではありませんか。それも倍以上の数に増えています。
餌を与えたわけでもないのに、この冬をどうやって乗り切ったのでしょうか。水温が50℃になっても生き抜くというめだかの生命力の強さに驚きです
*写真提供、常陸の殿
会津盆地から少しはなれた西側の山沿いの沢で久しぶりにアカショウビンの声を聞いた。まだ山の中でアカショウビンの姿に出会ってない。
なかなか、かわせみのようには人前には姿を見せないらしくこのままだと死ぬまでお目にかかれないのかもしれないなどと思っている。
尾瀬を源流にして新潟へ流れていく阿賀野川、この辺りまでは只見川と呼ばれている。鳴声を聞いたのはその支流の奥まった沢でのことでした。
日当たりの悪い沢沿いの田んぼは、いつ頃からか耕作がされなくなり、虫や蛙小さな魚が戻ってきたからなのでしょうか。
このあたりも、20年前には限界集落などという事が語られることはありませんでした。今会津ばかりでなく全国の山間部で、高齢化と過疎化で集落そのものが無くなる所が出てきはじめているといいます。
いつの時代からかはわかりませんが、長い時間と量力をかけて、収量の少ない田畑をそれこそ血がにじむような思いで耕して命の継承が行われてきたはず。
農業技術が進歩し近年ようやく楽な暮らしが出来るような世の中になったはずでした。そんな田んぼにも葦が生え、多くの場所で取り返しが付かない姿になってきています。
人の姿が消えて、子供達の声が聞こえなくなり、寂しくなった野山に、アカショウビンの声が「キョロロー」と悲しげに風に吹かれて流れてゆきます・・
*アカショウビンの写真、写真家廣瀬様からお借りいたしました。
会津盆地の里山に6月頃からリョウブの白い花が雑木林などに普通に見られる。
花の姿が好きになれず、採取などする気にもならなかったが以前あるお方のお宅を訪問した時に、玄関に竹の花入れにこの花が活けられていた。
その美しさに感激したが、何の花かも聞かないで時間が経てしまった。ある時、山でこの花がリョウブと呼ばれる花木の花だと判った。
先日、訪れたレストランの2階の窓からリョウブが窓一面に咲いているのを見かけた。花にはクロアゲハや蜂などの虫が蜜を求めてきていた。
食事よりも花が気になり長い時間眺めていた。意外なことにリョウブはかっては救荒食として重要視されたといわれている。
新葉を湯掻いて乾燥し、貯蔵して飢饉に備えたという。
食べた人の感想を、誰かのホームページ上で見たことがある。
味が無く美味しいとはいえないものらしい。名前の語源は葉の採取と貯蔵を命じた法令に由来するのと言われています。漢字で書くと「令法」とかくらしい。ただこの花の新芽はおいしそうなくらい誠に美しい、
雷や集中豪雨、7月も半ば不安定な日が続くが晴れ間を見ては山に向かう。
会津盆地の東側山麓、段差のある田のに畦から浸み出した湿地に葦の群落がありその間にクサレンダマやヌマトラノオが咲いている。
その中に孤立するかのように、今まで見たことがない
蘭の花に似たピンクの花が咲いていた。採集しようと触ったら茎が柱状で四角くおまけに下向きにざらざらした
棘が生えている。
この場所は以前から花の採集場所として何度も訪れている。それでも今まで私の目に留まることがなかった。
野の花にはこんなことがよくある。人の出会いだってそうだといえる。身近にいた人で長い間、話すことも無かった人がふとしたことがきっかけで親しくなりこんなに素晴しい人だったのかと驚くことがある。
誤解をしていた事が惜しまれるくらいなのだが・・人は必要な人には遅くもなく早くもなく出会えるとある人が話してくれた。
イヌゴマは花のみが胡麻に似ているが食べられないのでイヌと付いたとも言われている。昔は役に立たないものにイヌとよく付けたらしい、ワンちゃんには失礼な話だ
エゾアジサイ
今朝、久しぶりに雨だれの音で目が覚めた。会津の郷は梅雨に入ったというのに雨が降らなかった。
今頃、焼き物で有名な会津美里町から南に伸びる会津西街道、氷玉峠の旧街道沿いにエゾアジサイの群落を見ることができる。
以前この旧街道を歩いてみましたが、こんな急な坂を荷馬車が歩いたのかと信じられない勾配が続いていた。氷玉峠のもう少し先には重要伝統的建造物群保存地区大内宿があります。
エゾアジサイの咲く旧街道沿いに新道がつくられ、今では人気スポットの大内宿を見学にいく車が通り過ぎてゆく。
休日などは大内宿は特に多くの観光客で賑わっていますが昔も旅が行われるのは今頃の時期が多かったはず、この山の中に咲くエゾアジサイを当時の旅人達も目にしていたに違いありません。
エゾアジサイは深い雪が降る日本海沿いに生育するといわれている、雪という条件がこのアジサイの生育に何らかの好条件を与えている事には間違いありませんが
それが何なのかは知る由もありません。
そういえばこの花を見る場所は冬、雪深くなりそうな場所が多い。花の色も変種が多いらしく微妙にことなる。
この澄んだ青い花の清楚な美しさは旅人達の疲れを癒したことでしょう。
写真 、常陸の平塚さんからお借りしました。