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| 03.親父の「お薦め」 08月15日 11:22 | コメント 7 通 |

- お気に入りの場所 アロマテラス

アロマテラス
裏磐梯に親父のお気に入りのレストランがある。それも人影のない黄昏時にでかけてゆく。最近はなかなかいけないでいるがお気に入りの場所である。

ここでは、テラスから黄昏ゆく桧原湖の静かな湖面を眺めながら、ゆっくりと食事ができる。ワインを傾け静かに酔いが回りはじめるころ、やがて湖畔に夕闇が迫ってくる。

以前は家内と出かけることが多かったが、最近ひとりで楽しむ時間の心地よさを楽しんでいる。お店が冬篭りから覚めて、本格的に営業を再開する新緑の頃、又は人影が少なくなるお盆が過ぎたあたり、辺りの山々が紅葉し始める黄昏時など、11月のはじめに冬篭りで閉店する最後のときなどにここ十数年、何度足を運んだことか。年々身の置き場所がなくなるような気がしているがここも私の数少なくなった居場所だ。

| 03.親父の「お薦め」 08月14日 10:15 | コメント 2003 通 |

- 俺の別荘(食事つき)

タンボロッジ
俺には別荘がある。別荘といっても勝手にそういっているだけで立派なペンションというか宿である。仕事に疲れたり、南会津の方で講演や講習の仕事があると必ずここに泊まるようにしている。

どうやら俺はここのオーナーの大屋さん夫妻と話をするのが楽しみでいくみたいだ。最近わかったことだが、この宿は、俺のようにご夫妻の人間的魅力にひかれて泊まりに来る常連が相当いるらしい。

オーナーの大屋さんはもともとカメラマンで、朝日グラフや毎日グラフなどのグラフ誌の南米の写真を掲載し、旅行記を執筆してたりしていた。縁があり南会津の舘岩村に移住、自力でログハウスを建ててペンションを始めたという。ベッドも椅子やテーブルをみんな自分で作ったというから恐れ入る。

宿の楽しみは、彼が作る摩訶不思議な南米料理。料理人の俺も評価のしようがない不思議な味がする。その不思議な料理を食べながら酒を飲む。ご夫婦と楽しい会話をしながら酒が進んでしまい、酒に弱い俺はいつも夜9時ごろには寝てしまう。

5時ごろには目が覚める俺は、冬早朝の宿の周辺の針葉樹の森を眺めたり、新緑のころに遅い春の森を匂いをかぎに行く。

*タンボロッジ
http://www.caretv.jp/tambohp/
TEL 0241-78-5165

| 03.親父の「お薦め」 08月09日 15:35 | コメント 3 通 |

- 牡蠣供養

いわがき
籠太ですっかり夏の名物になったものが、この岩牡蠣。山形の庄内浜のものが最高だといわれている。縁で地元の漁協の連中とすっかり仲良くなり、それ以来この岩牡蠣にお世話になっている。
  
鳥海山から日本海に流れ出す伏流水。その伏流水含まれるミネラルををたっぷり吸って大きくなった天然の岩牡蠣だ。さすがにお客さんはこの大きさに驚く。

ポン酢もいいがレモンとオリーブオイルをたらりと垂らしたイタリア風もなかなかいける。最近はまっているのがわさびじょうゆ、これまたなかなかいい!

その牡蠣もそろそろ終わりに近づいてきた。友人と牡蠣供養をせねば・・・なに、どうせ供養して酒飲むんだろうって?

| 01.親父の「ぼやき」 07月30日 16:13 | コメント 2 通 |

- 俺とからす

裏のカラス
籠太の裏に社員用の駐車場がある。
そこに今頃になると、近所の胡桃の木から、ぼたぼた胡桃が落ちてくる。毎年その胡桃を拾い料理に使用していた。

ところがある日隣の庭に巣を作っているからすが、このおちたくるみを車の通るところに置き胡桃を割っているのを目撃した。どうやら餌にしているらしい。
なんて頭がいいんだろうなどと感心したまではいい、あるとき胡桃を拾っていたら、カラスが俺をめがけて急降下攻撃してくる。

どうやら胡桃を拾うことに腹を立てているらしい。くるみの木の隣の杉の木に巣もあるようだ。それからというもの、後ろからカラスの視線がこちらを見ているのを感じる。まだ直接突かれたことはないが、攻撃は執拗に続く。頭にきたおれは木の上のカラスをめがけゴムパチンコで応戦した。

やがて反撃する俺にかなわないと思ったのか,
カラスは私の愛車を攻撃し始めた。急降下爆撃である。それから愛車はおかげでいつもカラスの糞にまみれている。 これには正直参った。

ましてや鳥インフルエンザの報道があってから胡桃を拾うことをあきらめた。胡桃を拾うことをやめたら、カラスの攻撃は収まった。親父、カラスに降参・・今日も木の上からカラスが笑うように鳴いている。かかかあ~


| 01.親父の「ぼやき」 06月19日 22:32 | コメント 6 通 |

- 料理講習

せんせい?
時々籠太の親父は料理教室の先生をやっている。
月に三回はあるだろうか。ふくまんを廃業したら暇だとでも思われてるのか途端に増えてきた。以前はお断りしていたが、企業理念の中で社会貢献を明確にしてからは、できる限り断らないようにしている。考えてみれば、仕事を通じてこのぐらいの社会貢献しか出来ないのだから・・
最近は、俺のような者でも呼んでくれるだけでありがたいと思うようになってきた。

最近調理場で午前中仕込みを手伝う元板前の平さんが「お座敷が懸かるうちはいいよ」と寂しくつぶやいていた。平さんもは現役時代、いい仕事をすると褒めはやされ華やかだったが、そんな彼を世間が忘れるのに時間はかからなかった。数年前定年退職し、自分でお店を開いたが失敗し、行き場のない時間だけが残った。毎日籠太の前を散歩する平さんに声を掛けて午前中だけでもいいから仕込を手伝ってと、お願いしてみた。こうして平さんが手伝ってくれるおかげで、俺も講習等に安心して出かけられる。

わずかな謝礼で山奥まで出かけることも多いが、それでも民宿の叔母さんや家庭の主婦などの講習は楽しい。
一番嫌なのはプロ相手の講習だ、仕事が出来ない板前ほど講習の最中に馬鹿な事や嫌みを言ってくる。そんな奴に限って満足に魚も下ろせない。


| 01.親父の「ぼやき」 03月31日 16:36 | コメント 4 通 |

- 移転

 思えば色々なことがあった。振り返って見ると、籠太がこの場所に開店して14年が過ぎていた。当初店の若い者に店長をさせて営業していたが,
数年前から自分が店の「親父」として入るようになった。店長も初代の高野君、福地君、佐藤君と3名の人達にお世話になった 。自分が籠太に入ってみると、人と酒を通じて交流することの楽しさと、面白さにはまっていった。

この店で様々なお客様の人生ドラマを見させてもらった。自分の人生の貴重な時間を見つめることができた。どれだけ多くの人との出会いがあり、そして別れがあったことか、そんなお客様が閉店する間際、籠太に大勢お別れに来てくれた。最後の夜も深けてから、十数年前からのお客様と、籠太に滲みこんだ想い出に浸ながら酒を酌み交わしているとこの店を愛してくれた多くのお客さんの顔が浮かび、溢れる涙がとまらなかった。

3年程前から、経営していた本体の会津懐石料理ふくまんの老朽化がひどく、構造的にも時代に合わなくなり改築か閉店するか決断を迫られていた。

自分のなかで、こんなに人の価値観が大きく変化し、時代が変わるときは、自分たちも過去の成功体験にしがみつく事ことなく、大きく変わらなければならないと、腹をくくっていた。どうせ改築をせねばならないのなら、21世紀にふさわしい、新しい時代にふさわしいお店を作ってみたいとおもった。最後の舞台と満身の思いを込めて新しいお店作りをした。


| 03.親父の「お薦め」 10月13日 10:00 | コメント 3 通 |

- 淡緑

 群馬の太田市にある島岡酒造、醸造石高500石の本当に小さな蔵だ。以前大田にゆき、島岡酒造の場所を300メートルくらい前のスタンドで訪ねたら、そこの若いあんちゃんが知らなかった。

 ここの酒に出会ったのは十数年前だろうか、まだ私の甥が酒販店をしていた頃に、「伯父さんこの酒いかがですか?」と私に持ってきてくれた。酸が良く出たワインのような酒だった。常温で飲むと微妙にひね香がする。しかし冷やして飲むと味のあるしっかりとした自己主張をした端麗さを醸し出す。

 市内の大手蔵の従業員に飲ましたら「これは腐蔵に近い酒だ」といって相手にもしなかった。ぬる燗は何とも言えない上品さを持って迫ってくる。しかも秋が好い、先日休みの日に、虫が鳴き声を聞きながら月がきれいな晩に縁側に座り、ゆっくりとする燗と呼ぶほどの微妙に暖かいぬる燗を飲んでみた。俺一人の至福の時だ(飲みたかったら籠太に来な・・)。

 日本酒って、もともとこんな味だったのではないかって感じがするのは俺だけだろうか。俺は新潟酒のあの端麗さも好きだが、どこかで求めている物が違うような気がしている。お客さんも様々な酒を試した後に、本当にお酒が好きな人はこの「淡緑」にはまってゆく。

 数年前に蔵元におじゃましたら、ちょうどお酒の仕込みの真っ最中であった。正直「何て原始的な作りなんだろう」と思った。しかも驚いたことに瓶詰めしたあと、ワインのように貯蔵して出荷するというこれはまるでライスワインだ。ここの初絞りときたら、酸が驚くほど出ている。この酸がこの蔵の特徴だと思う。本当はあまり人に教えたくない酒だ。

 おれの実家も、造り酒屋だったがこの環境変化に耐えきれず20年ほど前に蔵の歴史を閉じた。その後も市内からも様々な小さい蔵が消えていった。しかしこの蔵がめざしている世界は、そんな小さな蔵がこれからどうしたらいいのか、日本酒の業界に大きなメッセージを含んでいる様な気がする。知る人も少なく流行とも縁がなく。スターにもなれないだろうがこの蔵の姿勢にはただ敬服する。


| 02.親父と「出会い」 09月20日 17:36 | コメント 1 通 |

- 妻の席

 しばらく姿が見えないと思っていた人が、開店と同時に入って来た。ここ2、3年見なかったが以前はよくご夫婦で見えられた。誰もお客さんが居ないので、カウンターの端、俺が洗い物をする、お客様に一番近い席に座って貰った。そういえば、いつもきれいな奥さんと、仲良くお酒を飲んでいる姿が印象的だった。

 何気なしに「あれ?今日は奥さんどうしたの?」と聞いたらしばらく間をおいて「妻は亡くなりました」。そういえば以前見えられたときに、奥様が顔色が悪いなと思っていた。悪いことを聞いてしまったと思い、失礼をわびた。聞けば病に気が付いたときは手遅れだったという。

 そのうちにお店にお客様が立て込んできて、お店は急に忙しくなり、一段落したときにふっとこのお客様の席を見たら壁側に近い席に、もうひとつ見たこともない杯が置いてあるではないか。聞けば奥さんと共に持ち歩いたマイグラスだという。その杯に酒が注がれているのをみて目頭が熱くなった。

  店が満席になり始めた。杯を置いたお客さんが「詰めましょうか?」というので、俺は「そこは奥さんが座っているから空けておきましょう」といった。俺には奥さんの姿が見えたような気がした。

 俺ができる精一杯のことだった。このお客さんは、乱れることなく静かに酒を飲み、「又来ます」いって帰っていった。忙しかったせいもあるが、たいした会話もなく住所も名前も聞かなかった。

 その晩、遅く家に帰り焼酎の水割りを飲んでいたらこのお客のことを思いだして、無性に涙が出てきた。俺も昨年、妻の母親がなくなり、父親も高齢なので仕方なく別居生活を始めた。別居して、妻のありがたみがしみじみわかった。馬鹿な俺は素直にありがとうと言えない。あの人もきっと元気なうちにありがとうといえば良かったと思っているに違いない。


| 02.親父と「出会い」 09月08日 16:35 | コメント 2 通 |

- 塩豆腐

 出会いは素晴らしい。この豆腐にであったときは「ドキッ」とした。特に塩だけで食べる塩豆腐がおいしい。いつだったか友人がこの豆腐をおみやげに持ってきてくれた。俺は豆腐が大好きであちこち美味しい豆腐を捜していたがこんな豆腐にはついぞお目にかかれなかった。いままに食べた経験がないほど美味しかった。この豆腐を造っている人に会ってみたいと思った。

 豆腐をつくっている小原さんはIターンである。もともと高郷村とは縁もゆかりもなかった。田舎暮らしにあこがれてあちこち住む場所を探して歩いているうちに、喜多方から山都に抜ける、慶徳峠からの景色に魅了されここに住みたいと決めてしまった。

 最初山都に住んで生活するための様々なことをして模索が続いたそうだ。パン屋がいいか、そば屋がいいか、しかし豆腐屋はハードルが高いような気がして豆腐屋になるとは考えなかった。たまたま喜多方市の図書館で豆腐作りの本に出会い、試してみたら美味しかったので、これならやれると、修行や経験もないのに無謀にも豆腐屋を始めてしまった。

 いまこんな人がいい仕事をし、いま素晴らしいビジネスモデルを作り出す。近代化は標準化と安定化を要求し、常識が固定されていく。「こうなったら、こうする」という対処法も含めて、定型句ができあがり日常化される。しかしいずれは陳腐化し、お酒も食べ物も業界の常識を踏み外しているような人が、あるいは素人だと思われるようなやりかたがヒットをうみだしている。

おそらく豆腐業界の常識を知らないからこんな豆腐が生まれたんだろう。後でわかったことだが、このご夫婦、元は京大をでてコンピュター会社に勤めていた、エリートサラリーマンだったという。人生はさまざまだな~と考えてしまう。小原さんとお話をしていると自分の幸福論を明確にお持ちなのがよくわかる。

毎週この豆腐を買いに、週一か二回ぐらい小原さんの所へ豆腐を取りにゆく。辛い時もあるが、豆腐を待つお客さんの顔を思い浮かべながら豆腐街道をひた走る。


| 01.親父の「ぼやき」 07月12日 15:35 | コメント 2 通 |

- 注文を忘れる


(40数年ぶりにいった安達太良山の白糸の瀧)
 籠太は他には特に悪いところがないが親父が時々注文を忘れる、とよく言われる。時々お客様の中に昔の彼女に似た人が来る時がある。最近女に興味を失ったかに見える親父の胸がさざ波が立つ。俺にもまだこんな感情が残っていたのかと妙にうれしくなり、昔の彼女に似た人の顔が気になりながら焼き鳥を焼くが、忘れていた様々なことを想い出し始める。馬鹿な親父はその思い出に浸ってたりするもんだからお客さんの注文を忘れたりする。親父が注文を忘れるときはたいていそんな時だ(と思う)。

 一度、中年のおばさんになった本人が来たこともあった。お互いに変によそよそしく、どうしていいかわからなく本当に困った。他にお客さんが居なかったし、従業員のおばちゃんも休んでいたからいいようなもので、でも噛み合わない会話とおかしな沈黙が続き時間が過ぎていった。結局彼女は「また来ますね」と言葉を残し二度と現れることはなかった。

 いつも周りにこれからの時代はこうあらねばならない、イノベーションを起こせという話をし続けてきた。大学時代の友人が久しぶりに店にきて相変わらず「これからの時代はこうあらねばならない」と話していると、からかわれてしまった。

 過去に興味がない親父も振り返るときが多くなった。
 年か?



| 02.親父と「出会い」 05月12日 16:34 | コメント 2 通 |

- 酒がなせる技?

 籠太は県外からの常連がやたらと多い。このホームページを覗く人の中には、あっ!俺もそうかも知れないなんて思っている人がいるはずである。この人もその県外常連の代表みたいな人である。(もちろん本人の承諾を経て掲載している)通称「つるちゃん」。

 生来持ってきた明るさだろうか、周りの人を巻き込んでお店に雰囲気を明るくしてしまう。それでいて人との出会いを殊の外大切にする。新潟県の田舎町の運送屋さんなのだがきっと人間が好きなのだろう。

 来るときは我がふるさと自慢の酒や野菜などの産物をこれでもかって言うくらい持ってくる。特にこの人の家に有るという筍は絶品!籠太に集いし輩どもで組織する古城研究会にも時々顔を出す。この写真の隣で飲んでいる「きよちゃん」となんか青年時代からの親友のようになってしまった。きよちゃんも酒豪だが、つるちゃんは桁違い。

 このように籠太のカウンターは人と人が出会い、交流する場所にもなっている。中にはこの店で出会い結婚してしまったのも数組はいるだろうか。目の前で「結婚してください!」なんてドラマのようにやられると、目のやり場に困ってしまうこともしばしば。様々な人生がこのカウンターを挟み繰り広げられる。

 それにしてもこれだけ良い客が集まるのは居酒屋冥利に尽きるとつくづく思う。酒がなせる技か・・それとも・・まあいいか!今日も美味しい酒と肴があるよ・・。


| 01.親父の「ぼやき」 04月06日 16:34 | コメント 3 通 |

- 親父のライフワーク

 籠太の親父はライフワークとして、長い間会津の郷土食について研究してきた。この大地に生きてきた人の暮らし、人たちの歴史、自分が生まれた会津の人は、何を食べどのように命の継承をしてきたのか、その全容を明らかにしたい、料理に関わりながら、俺はいつしかそう思うようになっていた。
 まだ20代の後半の頃、ある漆器屋さんの資料館に展示されている美しい会津漆器に魅了される。江戸時代の中期に作られた「会津絵椀」、「鉄錆椀」である。この器どんな料理が盛られたのだろうか、そう思うと何だかとてもたのしくなった。今の会津の郷土料理は何だか似つかわしくない、そんな気もした。
 興味は自然と古文書に向かい、様々な歴史資料館や公民館、旧家を訪ねて、資料を見て歩いた。時にはまだその家の家主も見たことがないような古いタンスの中に眠る古文書に胸をときめかした。気が付いたら蔵の外は真っ暗になっていたなんて事も何度かあった様な気がする。
 35才の時、地元の新聞で食の話の連載を書き始める。しばらくして全国各地の短大や大学の先生から多くの問い合わせが来た。今思うに切り口が異なる話は大学の先生達には新鮮だったのだろう。連載は50数回に及んだ。中央の出版物にもいろいろ書かせて貰う機会も多くなったが、ペンネームで書いたりすると誰も俺が書いたと言っても信じてくれなかった。
 それからしばらくは事業と直接の講師などの役割で飛び回り、発表する機会が遠のいていたが、今回、地元の出版社の企画で「会津の食」について書いてくれないかと依頼があり、眠い目をこすりながら早朝パタパタとパソコンを打ち、書き上げた。
 親父は若い頃、茶の湯に没頭していたその経験から(一応先生ということになっちょる?)、江戸時代の武士達の茶会記(お茶会の記録)に登場する江戸時代の会津で作られた菓子も研究していたので、今回思い切って再現してみることにした。今まで脳味噌の引き出しの中にしまい込んでいた物を少しづつ出し始めている。

 「會津」
  ・問い合わせ先
  歴史春秋社
  〒965-0842
  福島県会津若松市門田町中野
  0242-26-6567


| 01.親父の「ぼやき」 12月17日 16:34 | コメント 3 通 |

- こだわるわけではないが

 籠太に何度か来た人は時々「こだわってますね」ということがある。でも、おれはこだわりを売りにするつもりはさらさらない。そう云われるのもあまり好きでない。俺は40代の時に体が不調になり危ない目にあう。「自分の納得できる物しか売らないでいこう」その時心の中でこう決めた。
 50歳をまえにして、友人や知人が次々と病気で倒れていった。昨年も友人が亡くなり死亡通知が来たのは葬儀の後だった。あわてて浜松へ行き、無き友人の墓前で昔の友情を大切にできなかった事を詫びた。こんなことが最近数回続き俺も相当落ち込んでしまった。人はいづれは死なねば成らない。ならば自分は何のために生まれてきたのか。生きる事の目的とはなにか、そんな事と向き合う日々が続いている。
 そんな中こんな田舎の焼き鳥屋に宿代を払いながらも、わざわざ来てくれるお客がいる。そんなお客さまとの出合いを大切にしよう。そんな想いがこのレモンだ。輸入レモンを使用していた時に、なにか嫌な気分を払拭仕切れない自分に嫌気がさしていた。世の中には必ず安全なレモンを作っている人がいるはずだ。インターネットで捜す日が続いた。
  今は小豆島の近くから買わせてもらっている。ぶどうジュースもトマトジュースもそのようにして捜した。これでレモンハイをつくるのだが実にうまい!トマトジュースを飲まないひとが、籠太のトマトジュースを飲む。きっと身体の細胞が喜んでいるのだろう。

| 03.親父の「お薦め」 12月07日 17:33 | コメント 4 通 |

- 最近のこれは!というお酒「会津古文書造り」

 籠太には様々なメーカーさんが試飲酒を持ち込んでくる。まあこんなもんでしょうな~という酒が多い中でたまにとんでもないものと出会う事がある。

 そんな酒の中で「会津古文書造り」という酒を試飲させて湯野上温泉の渡辺酒食品店の徳さんと顔を見合わせた。
  「これはなかなかいける!」これが二人の共通した評価だった。それも燗酒がいい。

  今までもいくつか籠太からデビューした酒があるがこのお酒についても情報発信していきたい。というわけで全国の酒徒の諸君!ぜひ飲んでみてくれたまえ、うまいぞ~。



| 01.親父の「ぼやき」 11月29日 16:33 | コメント 2 通 |

- 様々な顔

 籠太の親父は実は様々な顔を持っている。料亭の社長、焼き鳥屋の親父、地域興しのアドバイザーもやっているし、郷土料理の研究家でもある。当然それぞれに収入が発生するから、本当の“職業”というものが自分でも分からないままずるずるここ迄来てしまった。でもこれだけは言える。焼鳥屋の親父が一番楽しい。
 この前もこんなことがあった。県庁の農業間系の部署からお呼びがかり、お昼過ぎから「21世紀の特産品作り」というテーマで100名位の前で講演をして帰ってきた。そのまま店に戻り、いつものようにお店の準備をして開店したら、来店したお客さんにこう声をかけられた。「マスター!いや~世の中には似た人がいるもんだね、今日マスターにそっくりな人の講演を聞いてきたよ」。どこかの役場の職員らしかったが、なぜかそれは俺だとは最後迄言えなかった。
 またこんなこともあった。自分が書いた本をお店に置いていたら、私の名前を知っている人が、其の本を見て「あれ?この人親父さんと同姓同名だね~」。この時もそれは俺が書いたと最後迄言えなかった。悲しいことに余程、あほに見えるらしい。
 一時期、歴史関係の本や料理関係の本にペンネームで執筆してたら、俺が書いているんだと云っても誰も本気にしない。頭に来たのでそれ以来実名で書くようにしている。そんなこんなで焼き鳥屋の親父は忙しい、数人分の人生を生きてるような生活でいつも寝不足。お店の中で居眠りをしている親父を見たら時々は大目に見てやって下さい。ああ~眠い。

 
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