| 02.親父と「出会い」 03月22日 09:25 |

- ワシントン講演(再録5)

のっぺ
そんな中でこづゆはこの「煮る」という料理の一部だったと考えられます。
こづゆは元々は中国から伝わった精進料理だったと私は見ております

寺院から武家社会へ様々なものが伝わり、そのなかで食作法や料理の技術的なものまで伝わったと見るのが自然な流れです。

鎌倉以前の延喜式や食事の記録を見ますと。大抵は蒸すか焼くあるいは鱠のような生ものです。室町時代鉄でできた鍋は大変高価なものだったといわれています。

この鍋で物を煮る調理法は日本人の食生活に革命を起こしたといわれています。おそらく京都や奈良の寺院で修行した僧たちが地方に定住布教するなかで伝わっていった流れもあるかとも思います。

又全国にこづゆに煮た料理は数多くあります。その代表的なものが新潟の「のっぺ」(右上写真)です、今日私の友人がワシントンで話をするといいましたら、この「のっぺ」を持参してくれました。

この「のっぺ」言われるものは、京都や奈良にもあります。又、様々な呼び名でありますが、似たものは全国各地にあります。今回の会津の古い時代のこづゆの記録をたくさん見てますと、どうも食材だけからですと、こづゆが会津独自のものだとはいえないことがわかります。

いまのかたちができたのはおそらく明治末期以後のことであります。明治期の末期に会津の郷土料理としてのこづゆが完成したと見ても間違いないようです。それ以前は季節のものを細かく刻んで、あまり材料にはこだわり無く煮ているような印象を受けます。

そういう意味ではこづゆは会津人が育て上げてきた郷土料理といえるかもしれません。

料理はどうも時代により流行があるようですし、当然消えてゆく料理も出てきます。またその土地土地で進化してゆきます。又交通の発達やの環境変化にも大きな影響を受けやすいものでもあります。

磐越西線の開通の頃に新潟からたくさんの海産物が入荷するようになりその頃にこづゆも今の形に落ち着いた事が見て取れます。


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