| 01.親父の「ぼやき」 06月04日 16:00 |

- 価格に価値のある時代(10)

sirihana
大内集落から学ぶ事
多くの観光地や温泉場が観光客の激減に苦しんでいる。東北の観光地で数少ない勝ち組がいくつかある。

その代表みたいなものが、秋田の 角館と、会津の大内集落だと思う、かつて日本の近代化の波に乗り遅れ、むかしの景観がそのまま残っていたのが幸いした。

驚いた事に、大内集落からは福島県の長者番付に上る人さえ出てき始めている。20数年前、ネコも通らないような地域だった所が見事に再生した。友人の蕎麦屋桐屋の旦那も私も様々な面で関わってきたから、この変化を正直驚きで受け止めている。

イタリアに行ったときフィレンツェのまちで或る事に気づいた。クーラーの室外機が無いのだ。そればかりか、町には目立つ事に価値のある屋外看板さえない。

フィレンツェの町は世界中から集まった観光客でごった返していた。景観を守り発展させる事が如何に重要かを物語っている。

会津の中小企業の経営者には、口には出さないけれど観光で商いをする人を、何かこそくな商いをしているかのように馬鹿にするような風潮がある。会津に最大の経済的恩恵を受けている産業であるにも関わらずだ。


飯盛山の客引きのように、会津にそのように馬鹿にされても仕方の無い観光業者が多かったのも事実だ。でもそれはどこにでもあるような話だ

かつては酒も漆器も黙ってたって売れたし、努力をしなくても人はやってきた。そんな状況にあぐらをかき、消費者の時代の変化に無頓着であったことも事実である。

閉鎖系のコミュニティーは閉じているがうえに、時代の変化に鈍くなり、顧客視点で物を見る習慣が養成出来にくい環境が出来上がってしまったのだと思う。そんな中で経営がうまく行かなくなり、やがて施設や旅館が次々と廃業し、または銀行管理になってきた。

もしかしたら、新しい時代に、要らない物が無くなっているだけなのかも知れない、そんな気がしないでもない。

価格に価値のある時代、人と人の関係に価値が生まれなければまた来たいとは思わなくなってきた。そこに感動あり、大切な人生の時間を演出するものが無ければ人は二度とはこない。

ああ此処に来てよかった。幸せだったと思っていただく事に如何に真剣に向き合えるかだと思う。


いつだったか、大内集落の蕎麦屋の友人に意外な事を聞いた。そのお店の親父いわく、こんな蕎麦屋でも数多くのリピターがいるというのである。お客様の結婚式にまで呼ばれた事もあるという、それを聞いて正直驚いた。人との出会いをとても大切にしている、経営姿勢がそこにある。


フィレンツェの町でここに住み着いて、店員をしている日本人の女性がやはり、世界中から何度も来るお客さんがとても多いと話していた。若松も小さくてもまた行きたくなるような町になればな・・・と思う。

そんな事を考える人が、この閉鎖系のコミュニティーにも他にいないのだろうか。当たり前の話といえば当たり前のことなのだが・・・


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