| 04.親父の「食い意地紀行」 12月23日 15:42 | コメント 164 通 |

- モンテカッシーノ

モンテカッシーノ
アッシジをバスが出た後、そろそろ旅の疲れが出始めたのか、バスの中は全員といっていいほど皆が居眠りをしている。

7日間でイタリアを駆け巡る強行軍の旅行、ローマに向かう間眠れないで起きていたのは俺だけではなかったか。
 
夕刻バスがローマ市内に入り始めた頃。ようやく皆が起きはじめてきた。城壁に囲まれたこの古代都市に到着、最初にバチカンに向かう そのあとトレビの泉やスペイン広場などお決まりの観光コースをめぐる。

ローマには二泊の予定、 翌朝カプリ島に向かう参加者は、宿泊とは別の市内のホテルのロービーに集合した。

ここから「あささん」というカプリ在住の日本人がガイドについてくれた。運転手は「スキンヘッド」の背の高い強面のお兄さん、高速道路をナポリを目指して走り始めた。

トイレ休憩の時に左手の山に何か建物らしいものが見えていた。サービスエリアからその反対側の岩山の上に雲間から射し込む光の中に モンテカッシーノという修道院が見えてきた。

以前から、イタリアに来たら、この場所は見てみたいと願っていた。以前映画で見たことがあったからだ。バスのなかで、彼女がアメリカから来た退役軍人の老人の団体をこの修道院に案内した時の事を語ってくれた。

この山の麓では第2次世界大戦の時、 多くの日系アメリカ兵が戦死した。ここで戦った兵士だった老人が「此処に来るのはとても辛く悲しい」 と涙ながらに語ったという。

第2次世界大戦のイタリア戦線、ドイツ軍はここに強力なる防衛線を山脈沿いに築く。此処が破られればローマは陥落する。

守るほうも攻める方も必死、度重なる降伏勧告にもドイツ軍は応じない。戦闘が始まると共に、日系アメリカ兵の部隊はその最前線で戦った。

この岩山の上で朝日に、美しく輝きそびえる修道院は瓦礫の山と化し 麓には 死体の山が出来たとも言われている。俺には麓に赤く咲いていたひなげしが、まるでそのときの戦死者の血の色に見えた。
  


| 04.親父の「食い意地紀行」 12月10日 16:04 | コメント 2 通 |

- イタリア食い意地紀行14(フレンツェでの昼飯)

アッシジの町並み
聖堂を見学した後
私達はこの城壁都市の中にあるレストランへと向かう。
大勢の世界中から来る、カトリックの巡礼者を相手に石畳の中世の町のあちこちにお土産品を売る店が軒を並べている。

しかし店頭に派手な看板を出すわけでもなく、のぼり旗があるわけでもない。景観を壊すことなく、不思議な秩序が保たれてるように見える。

しばらくして上り坂の途中から階段を下りると、目立たない場所にレストラン看板が見えた。城壁にへばり付くような建物は天井が低く、店にはわたしたちの前にアメリカからの観光客が食事をしていた。
ヘンネ

イタリアの旅行中、此処での食事が一番良かった。1の皿にフェンネの地元の塩辛いソーセージと生クリーム会えたもの、2の皿に豚肉とジャガイモの煮物のようなものが出た。

素朴だけれどいづれも美味しかった。ここでもウンブリアのワインを注文(名前は残念ながら記憶に無い)。家族で経営しているらしく。質朴で親切な応対がとても気持ちよい 。

旅の後に、又行きたい所はこのアッシジだと強く印象に残った。レストランの窓からはウンブリアの平原が眺められ、窓から吹き込む初夏の風がとても心地よかった

| 04.親父の「食い意地紀行」 10月31日 18:04 | コメント 2 通 |

- 新潟食い意地紀行(村上の鮭の巻き)

鮭つり干し
いつものように
9時ごろにはダウン、ホテルに戻り翌朝7時頃まで熟睡した。朝つるちゃんから携帯に電話があり、五泉駅前の朝市に連れて行ってくれるという。

8時ごろホテルの下で待ち合わせ、駅前の農協の倉庫で行われている朝市を見学ついでに買い物をした。この地方の見事な作物に見とれる。夕べののっぺじるも、この清水が湧き出る台地の恵みがあってのことなのだろう。
鮭料理

そのあとつるちゃんと別れ、(つるちゃんお世話になりました) 今日の予定地、村上に向かう。途中時間があるので新発田へ寄り道、新装なった新発田城を見学後
一路村上に向かった。

村上には12時ごろ到着。米澤の殿との約束の料亭「吉源」に向かう。今日はこの料亭にて米沢の高名な蕎麦屋「粉名屋小太郎」のご夫婦や娘さんたちと合流する予定。

「吉源」はかって会津あった料亭を彷彿とさせる構えであった。座敷に案内されてそこには今日の会食のメンバーがすでに揃われていた。

鮭びて


まずは小太郎殿の音頭で乾杯。そのあとは朱のお膳に次々と鮭料理が運ばれてくる。まずは鮭の酒びて、鮭の氷頭膾、お造り、吸い物、川煮、などなど。

座敷には〆張り鶴の純米吟醸が持ちだされ、私以外もメンバーは美味しそうに飲んでいる・・・ああ泊まって生きたいな~と車で来た事を後悔する。

地方が様々な模索をしている時代、歴史と伝統を大切にしながら磨きをかける。その見本がここにあった。
鮭という食材を余すところなく使用する見事さに驚いた。

あいにく営業時間に間に合わせるため、他のメンバーよりいち早く帰宅、国道はおりしも日本海上空の低気圧の影響で台風並みの強風、親父の心同様、揺さぶられながら会津へ向かった。

| 04.親父の「食い意地紀行」 10月28日 14:35 | コメント 1 通 |

- 新潟食い意地紀行(五泉の夜はふけて)

のっぺじる
里芋を買った後つるちゃんは村松の街中を案内してくれた。この町は東手にそびえる菅名岳や白山、大蔵山などにふった雪が溶けて伏流水となり、その伏流水に支えられて発展してきた町なのだということが良くわかる。

町のあちこちに水がと湧き出ている場所がいくつもある
その豊かな伏流水が美味しい野菜をはぐくんでいるのだろう。

里芋も牛蒡も根菜類も残念ながら、会津のものとは比較にならない位うまい。

古い城下町を散策していたら夕闇が迫り、気がついたら5時を過ぎていた。さっそく今日のメイン「酔泉」へ向かう
途中時間が早いので別な1軒にも寄ってみたが、いまどきの何処にでもあるような居酒屋でどうってことは無かった。

6時になるのを待ち「酔泉」に1年ぶりに瑠璃ママの顔、相変わらず元気そうだった。席に着きまずはビール、お通しのあとにあのゆめにまでみた「のっぺじる」がでた。
やっぱりうまい。
はたはた

おまかせで「はたはたの焼き物」、花イカの生姜合えなどママの手作り料理が次々と出てくる。

こういうのが出てくる居酒屋、実はあるようでなかなか無い、太田和彦さんを連れてきたいくらいだ。酒は地元の銘酒、「菅名岳」のぬるかんがでた。菅名岳の清流がそのまま喉に流れ込んでくる。ああ~たまんない。

そのうちに地元の常連さんたちがぼちぼち見え始める。
地元病院のお医者さんが「会津から変な親父が来ている」からと同世代の友人を呼び寄せる そのうち同じような世代のひとたちが集まり、賑やかになってきた。カウンターはまるで団塊親父達の飲み会みたいになってきた。


| 04.親父の「食い意地紀行」 10月24日 17:35 | コメント 2 通 |

- 新潟食い意地紀行(ある河漁師の武勇伝の巻き)

佐野老人
佐野さんは昔の漁の様子をとつとつと語り始めた。

若い頃、藻魚狩漁の名人といわれた。漁をやめるときに上流の漁師が「佐野さんが辞めたら鮭がいっぱいくる」といって喜んだという。

戦後、国と掛け合って、河川敷にアジャ小屋という番屋を建てて漁をした話や、年の暮れまで雪の中で漁をした話など想い出を誇らしげに語ってくれた。まるでヘミングウエーの「老人と海」に登場する老人を彷彿とさせると思った。

こうして採られた鮭は甘酒と共に漬け込んだり、煮つけ塩焼きなど様々な方法で食されたという。なかでも塩焼きは一番おいしかったという。

そしてアジャ小屋の中で仲間と食べる、アラ汁の味は忘れられないと目を細める。おそらく十年後には姿を消すこの漁を、間近で見れたのは本当に幸運だった。
つるちゃん


しばらくお話を伺った後、玄関を出る時に又あの漁の写真を見て感激で胸が熱くなった。

お別れしてつるちゃんは野菜の直売所へ案内してくれた。そこで絹乙女というブランドの里芋を買えればと向かったが、直売所に目当ての絹乙女があるではないか。さっそく買い込んだ

*写真は村松に残る旧陸軍の兵舎の門前で・・敬礼をするつるちゃん


| 04.親父の「食い意地紀行」 10月24日 17:05 | コメント 17 通 |

- 新潟秋の食い意地紀行(鮭漁を見るの巻き)

藻魚狩漁
2時近く五泉の駅前に到着、宿泊先のホテルでつるちゃん待っているという、しばらくしてホテルに到着、まだ2時だというのにチェックインを特別にしてくれるとの事。

部屋に入り荷物を置いて、つるちゃんの車に同乗させてもらう。つるちゃんはすぐ近くを流れる早出川の土手に車を乗り上げ藻魚狩(もっかり)漁をしている場所に連れて行ってくれた。

そこでは川岸近くで三軒半ばかりの小さな船で船の上からガラス箱のようなもので、一人の老人が水面を覗いている。
鮭

この漁法はおそらく縄文時代からあったであろう原始的な漁法だ。長い棒の先につけた「やす」と呼ぶ鉤状のもので引っ掛ける豪快な漁法だ。

しばらくして岸に近づいた船の中には大きな鮭が2匹横たわっていた。つるちゃんは漁の名人といわれた知り合いがこの近くに住んでいるから紹介するという。

すぐ近くの堤防沿いの訪れた家は佐野金松さんという、今は漁をやめた老人の家だった。

佐野さんは玄関先で何かの仕事をなされていたが、「お茶でも飲んでいけ」と誘われてお話を伺える事になった。
玄関先には20年前撮られたという、佐野さんの水面に水しぶきを上げながら鮭を引っかき揚げる、勇壮な写真が飾られていた



| 04.親父の「食い意地紀行」 10月24日 00:11 | コメント 1 通 |

- 新潟秋の食い意地紀行

橘屋
その日は雲ひとつ無い秋晴れだった。親父は我が愛車「籠太号」のスズキの軽バンを珍しく洗車し、一路新潟へ向かった。

今日は五泉に泊まり、先年感激した、あの絹乙女の居酒屋でつるちゃんの退院祝いもかねて一献なんて趣向だ・・

途中高郷村の小原豆腐屋さんへ保冷用の発泡スチロールをおいて、山道を西会津町の49号までノコノコ走る。津川に着いたのが11時30分ごろ、お気に入りのお店「塩や橘屋」さんで昼食の予定だ。
わっぱめし

お店に入ると、昼前にも拘らずお店は混んでいた。いつもは蕎麦を食べるのだが、今日は黒米の蒸篭飯を頂く事にした。

混んでいたせいもありだいぶ待たされたが、湯気の上がった、黒米入りの鮭蒸篭がまもなく登場した。

お膳には鮭蒸篭のほかに、おおきな出汁巻き卵やもって菊の和え物、それに揚げ出し豆腐田楽までついている、おまけにえのきと白菜の味噌汁、手作りのおしんこときている。

泣かせるほど作り手の誠意を感じる。いつも思うのだが、この店の味は本当にセンスがいいと思う。聞けばもともと腕のいい洋食のコックだったという。

以前も予約して特別な料理を、頂いた事が何度かあるが、何を食べてもおいしい。

大満足の食事の後、近くの町興しのイベント会館「狐の嫁入り屋敷」を訪ねる。すぐ下の阿賀野川の川原で、自前で入れてきたコーヒーを飲みながら、秋の紅葉に彩られる麒麟山城を眺めて30分位ボーとして過ごす。

五泉まではあと30分、急ぐたびでもない。



| 04.親父の「食い意地紀行」 08月31日 09:31 | コメント 3 通 |

- 夏休み(ああ~白川郷)

アマゾンイケ面1
散歩から帰るとアマゾンイケ面さんが起きていた。親父はシャワーを浴びて着替え朝8時ごろには宿のホテルを出た。

今日の予定は白川郷の合掌造りを見に行く事、車は古川を抜けたところで白川郷の道路標識を見つける。その方向に標識どおり進んだら、どうやら様子がおかしい。

地図に示された道より手前の県道を走り始めたらしい
段々様子がおかしくなってきた。道幅が段々狭くなりしまいには農道みたいなところを走り始めている。運転しているイケ面さんはそのこわもての顔に見合わず意外と気持ちが小さい。(失礼・・)

どうしよう・・大丈夫かとやたらと騒ぎまくる。「大丈夫だからどんどん行きましょう」などとわけのわからない励ましをしては見たが正直不安になってきた。

車はやっとカーブを切れるような細い山道を下り始めやがてダム湖のところへ出た。ところがイケ面さん「清見村」という看板を見つけたら、木工を志すものに、あのあこがれのウオークビレッジがあるから見に行こうと言い出す。

ダム沿いの道をどんどん行くとやがて大きな国道に出た
目指すウオークビレッジには30分ぐらいで到着した。手作り家具では世界的にも有名な家具屋だという.
工房の家具

そこをしばらく見学した後、白川郷を目指した。しかし白川郷はあふれるような観光客でごったがえしていた。俺達は車を降りる事さえしなかった。イケ面さんも俺も見なくてもいいと正直思った。

長い時間掛けて来たのにあまりにもイメージと異なり
何だか見ただけで嫌気がさした。すぐ近くにの高速にのり会津を目指し帰路に着いた。





| 04.親父の「食い意地紀行」 08月27日 10:32 | コメント 19 通 |

- 夏休み(飛騨古川の朝)

郵便受け
朝5時ごろには目が覚めてしまった。寝たのが9時だから十分睡眠は取れている、隣のベットで枕を抱きかかえるようにして寝ているアマゾンのイケ面さんを起こさないように静かに町を散歩しに出かけてみる。

散歩をする親父におばさんもだれもが「おはようさんと挨拶する」静かなやさしいいい町だ。しばらくあるいていると堀沿いのお寺の境内で朝市をしている面白そうなのでのぞいてみた。
古川特産かぼちゃ


何だか会津では見た事もないような野菜が並んでいる
特にうりのように長いかぼちゃは初めて見た。売っている爺さん値段を聞いたら「700円」だという値段を下げる様子まったく無し。

黒いまだら模様のインゲン豆とこのかぼちゃを買い込む
すると隣にいた爺さんが「何処から来たのかね・・」と声をかけてきた。会津だというと「おお会津か・・俺知り合いが居る。会津の唐橋さんだ」という。
蕎麦屋の爺さん




話の顛末はこうだ、息子が失業して「蕎麦屋を始めたい」という、飛騨の古川もNHKの朝の連続ドラマ「さくら」以来観光客が多くなってきた。そこでまちに唐橋さんを呼んで「蕎麦打ち」の講習会を開催し受講して半年前にこの堀沿い蕎麦屋を開店したのだという。


唐橋さんも親父もあちこちの地域おこしのアドバイザーで呼ばれる。俺も年に数回、全国各地に呼ばれるがここで、桐屋蕎麦屋の唐橋さんお話が出るとは思わなかった。そういえばこの古川の町きれいになったし、お店の数も増えた。

地味だけどゴミひとつ落ちてないきれいな通り、そこに住むやさしい人々、まだ日本にはこんな街がある。
ここに泊まって大正解でした。


| 04.親父の「食い意地紀行」 08月26日 10:04 | コメント(0) |

- 夏休み(高山、古川)

朝の古川
翌朝、仕事があると言う事で、永田君が高速バスに乗り新潟経由で会津へ戻る。そのあと親父とアマゾンイケ面さんは松本を目指し山越えで飛騨高山へ向かった。

3年前、家内と上高地に来た時に通った山岳道路に入る。途中道の駅で昼食、この辺りに来て蕎麦で後悔を何度もしているので親父は素ラーメンを注文、ラーメン600円(高い!)アマゾンのいけめんさんは止めるのも聞かずにかけ蕎麦・・

食べている途中から「食うんじゃなかった・・」などといっている。しかしめげずに果てしなく続く山岳道路をブルースをガンガンかけての「チン道中」は続く。

4時ごろ高山に着いた、きつつきマークの飛騨産業の木工家具を見学した後、高山の町並みを見学、そこには昔又来たいと願った高山の町はもう無かった。町並みは昔のままでも、中で行われている事は情けないほど俗化した観光土産屋ばかり、

30分ほど見学した後で二人ともどちらから言うとでもなく
「もういいやいこう・・」と駐車場に戻り隣町の古川に向かう。駅前のホテルに宿を取る。6000円ぐらいだけれど
このホテルはなかなかでした。

和室つきの部屋でトイレとバスルームが別々で後で聞いたら皇族も泊まる宿だとか・・ホテルのフロントで居酒屋を紹介して予約をしてもらった。

1時間ぐらい古川の町の中を流れる堀沿いに町のなかを散策、町は10年前に来た時よりも整備が進み綺麗になっていた。

綺麗なお姉さんが個人でしている美術館を見学した後、少し早かったけれど、最近出来たばかりというホテルの紹介の店、「ま~くん」に到着。お刺身が売りの店らしいが、まあ何処にでもあるタイプの店、しかしここのでかいコロッケには参った。
でかいころっけ

若いマスターま~くんは人気者らしく、店は狭いけど一杯、この店でま~くんやお母さん地元におばさんと楽しい会話をしながら2時間ぐらいはいただろうか。がんばれ青年などとわけのわからない励ましをして、次に嫁さんの実家だという信濃路という洋食居酒屋?にゆく

店には地元のストレス解消にきたという、おばあちゃんと89歳になるという旦那、おばあちゃんに説教されながら飛騨牛のたたきを肴にビールを飲む、地元の人との交流は中々楽しい・・

9時過ぎに宿に戻り親父はいつものように寝てしまう。(いつもこんな調子)ブルースなアマゾンイケ面さんは缶ビールをちびちびと12時過ぎまで飲んでいたようだ。
(*写真は親父の携帯)

| 04.親父の「食い意地紀行」 08月25日 08:16 | コメント(0) |

- 夏休み(小布施)

アラ小布施
この店にはBJMが無い。かまどの近くに席を取ったせいもあるが
あるのは、物を焼く煙と匂い、包丁の物を切る音、それらがここちよいBJMである。


客席より高い位置にしつらえられたオープンキッチン
は、まるで若い料理人達のエンタテイメントステージのようだ。
hattukin

あるときは家内と、あるときは一人で又あるときは友人たちと、この店で自分の店のビジョンとミッションをどれだけ描いただろう。

自分の想像力を刺激し夢を描ける、その魅力で何度も来ている。そういえば黄昏時の蔵部の前にはいつも黒と白のこの店の番人の様なネコがいつも寝そべっている、今回もこのネコが私達を出迎えてくれた。

ここで飲んだ後、隣のイタリアンの店に行ってワインを飲む。親父は酒に弱いのでここら辺りがもう限界9時ごろ宿に戻り親父はシャワーを浴びてねてしまった。
宿の部屋

しょうもないブルース兄弟達は物足りないらしく、寝しまった親父を置いて又、近くのショットバーへ行ったらしい。
それでも又眠れないとばかりにコンビニに行き缶ビールを買いあさり、ベットの脇で深夜までブルースな会話を
していた。

*(写真いつも泊まる宿、飲んだ酒、部屋の様子)


| 04.親父の「食い意地紀行」 08月24日 07:52 | コメント(0) |

- 夏休み(小布施)

渡辺さん

8月20日、21日、23日とお休みをいただき、親父は長野と岐阜に旅行に行ってきた。家内は坐骨神経痛でいきたくないという。

旅の道連れはこの人ともう一人、70年代のブルースの匂いが臭いほどぷんぷんする、男3人の「チン道中」。

この渡辺さんはお店の新装開店のときにカウンターとテーブルを造ってくれた人、喜多方在住の木工屋(主に家具)さん。
蔵部1

あるギャラリーで彼の作品を見て気に入ってしまった。
アマゾン系のこわもてのイケ面(失礼・・)だがこの人がなかなかデザインセンスや感性がすばらしいものを所持?している。

仕事を依頼したのが縁で仲良くなり、よく旅行や食事に誘う、今回は又小布施に行って、枡一酒造の「蔵部」
へ出かけた。もう数回以上来ている。

宿はいつもの「アラオブセ」安くて(一人5000円前後)気軽なのがいい。もう一人の連れは永田君、彼の友人だ。道中車の中は、LPからコピーしたという60年代から70年代の黒人アメリカンブル~スがガンガン鳴らして異様な雰囲気。

二人ともアメリカンブルースが大好きで、人生そのものもブルースのような人たちだ。蔵部に着いたのは6時30分、予約しておいたらカウンターの一番隅をリザーブしてくれていた。(前も家内とここに座っている)

最初ビールを飲んで、枡一酒造の白金という吟醸酒を飲む、肴は鱧のから揚げ、まつ鯛のさしみ、糠漬けのおしんこ、などを食べた。
はもてん
気になっていたが、何だか来るたびに仲のスタッフが違うような気がする。料理も最初来た時と比べると何だか少しテンションが落ちてきているような気がする。仕事も少し粗くなったようだ。

でもここの醸す雰囲気は最高、親父のお気に入り。又来たくなるから不思議だ
(*食い意地紀行イタリア編は小休止まだまだ続くぞ~)

| 04.親父の「食い意地紀行」 08月19日 10:11 | コメント(0) |

- 食い意地紀行16(アッシジ)

アッシジの遠景
フィレンツェで2泊した一行は朝食の後、バスでローマへ向かった。イタリアの丘陵地帯を長い間バスは走り続け、10時半頃カトリックの聖地アッシジに立ち寄る予定だ。

バスは山岳地帯を抜けてやがて平坦な盆地に入る。やがてアッシジの城壁の囲まれた町が山の上に見えてきた。

中世がそのまま残る、城壁に囲まれたカトリックの聖地である。この旅で一番印象が良かったのが俺はアッシジだ(見てくださいこのウンブリアの田園の景色)
ウンブリアの田園




雲ひとつない天気に恵まれそんなに暑くもなくここち良い風に吹かれながらバスの駐車場から歩いて城壁の中に入る。

アッシジの見どころは、サン・フランチェスコ聖堂である。
山の斜面に造られ、上堂と下堂の2層構造 になっている。地震によって破壊されたが現在は修復され、公開されている。

聖堂の上堂には、ジョット作の聖フランチェスコの生涯を描いたフレスコ画の連作がある。私達はそれを十分すぎるくらいに時間を掛けてみて歩く。
サンフランチェスコ大聖堂


時々守衛がマイクで静かにシーと放送するとざわめきが一時的に納まる、又守衛が同じ事を繰り返す、そのやりとりがおかしい。

下堂ではミサが行なわれていた。ここも世界中から集まる信者と観光客でごった返していた。ミサが終わり下堂に入れた、ここにはフランチェスコの遺体が安置されていている。 ここに来て自分が何でここにいるのか不思議な気持ちになった.
(*写真はせがれのデジカメ

| 04.親父の「食い意地紀行」 08月17日 11:20 | コメント(0) |

- 食い意地紀行15(フィレンツェのたそがれ)

バール
もはやこれまで、
バスの集合場所に戻らなければいけない時 間が来て
しまった。

何とかなるだろうと、親父は集合場所に向かう、途中ツアー同乗していた新婚さんとであった。何だか大きな車付の旅行鞄をごろごろ引いている。

聞いたらお土産を買い込んで、とても持てないので、仕方なく運ぶための鞄を買ったのだという、中身がほとんどワインだという。今夜はホテルで夕食が出ないので
近くのバールで一緒に夕食を食べてバスまで戻った。

バスまで戻ると、何とバスのところに我が愛する妻はいるではないか!聞けば私と別れてすぐに道に迷ったのだという。それでも地元の人が行くスーパーマーケットにいったり、仮面屋をひやかしたり、レストランで美味しいものを食べたりと結構迷ったわりには度胸良く楽しんできたみたいだ。
ベッキオ橋


フィレンツェの町はよほどの土地勘がないと、路地裏の迷路見たいな感じで迷いやすいようだ。確かにそうかも知れない・・

ところが驚いた事に迷ったのは家の家族だけではなかった。うちの家族はそれでも時関よりも早く戻れたけれど、ツアーの同乗者が3組、約束の時間になっても来ない・・仕方がないので私ともう一人、二人でバスから離れた見晴らしのいい場所で待ち続けた。そのうちに二組はどうにか戻ったが、結局一組の親子は戻らなかった。
パニーノ


約束の時間を2時間近く過ぎていたし、バスはこの親子を残しフィレンツェの町を離れた。
(*結局この母と娘はタクシーで山越えの近道を猛スピードでホテルに10時ごろ戻ったという)


| 04.親父の「食い意地紀行」 08月15日 17:41 | コメント 2 通 |

- 食い意地紀行:14(午後のフィレンツェ)

市場
食事の後、市場の2階に上がり野菜売り場を見学。スローフードの国柄からかオーガニックのものが多いらしく日本ならば出荷できないような果物やりんごが山積みされて売られている。

家内はみかんをしこたま買い込んだ、しばらくして又市場2階の隅にあるバールで、別の種類のパッチーノを注文して食べてみる。見た目は美味しそうなのだけれど、いかんせん日本のパンに慣れてしまってるせいか。パンがとてつもなく固い。
おばけ


一時マクドナルドがイタリア中を席巻しそうになったのもわかるようなきがする。半日もかけて調査や、食材を見て歩いた私達は市場を出て自由に見学をする事にした。(イタリアのサンドはパンの間に野菜とチーズだけのものが多いような気がした。)

サンタクローチェ教会の前で倅や家内とわかれ。ここで5時に集合しようということになった。(何だかいやな予感がした。似たような景色や教会が多いたぶん迷子になるかもしれない・・)俺の予感は的中してしまった。


妻や倅と別れた後、俺は路地裏を歩き回り、古本屋や古美術屋の覗いて歩いた。しばらくして国立美術館の前に来たので涼しそうなので入館して1時間以上陶器やミケランジェロを始めとするイタリアの彫刻家の作品を一人見て歩いていた。

かなり立ちっぱなしだったし、少し疲れたので2回の回廊の椅子の在る所で座って休んでいたら、いつの間にか寝てしまった。どうやら小一時間は寝ていたらしい。
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突然2階回廊が取り囲む中庭で壁かなんかの修復に来ていた職人が「蝶々婦人」を歌い始め、その歌声で目が覚めた。これが又うまい!となりで休んでいたドイツから来たという老夫婦とおもわず顔を見合わせ、歌い終るとこの老夫婦と共に拍手をしてしまった。

壁ぬり職人は気を良くして、自慢の喉を更に披露し始めた。フィレンツェの壁塗りの歌に見送られて約束の場所に向かう。詠っていた歌は昔聞いた事があるカンォーネ、深夜放送で良く聞いた事のある曲だった。

約束の場所に着いた親父は、近くのバールでビールを飲みながら来るのを待っていた。しかし時間が近づいても我が家族が来ない・・、

待つうちにバールのテラスで缶ビールを4本ぐらい開けてしまっただろうか。ビールを飲みながらひたすら待つことにした。
*写真 上から野菜の売り場。街中の彫刻パホーマー。ジェットの鐘楼の下を歩いている女将さん、わかるかな?


 
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