«前の記事 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 次の記事»
| 01.親父の「ぼやき」 02月25日 08:15 | コメント 1 通 |

- 風の記憶

スペイン風車
ラマンチャの風

スペインの南西部、あのスペインの伝説的英雄ドンキホーテが怪獣と勘違いして突撃したというラマンチャの丘の上に立っていた。

季節は6月のなかば、温暖化の影響はここスペインでも様々な問題を起こしているらしく私たちがここに向かう時期、あちこちで集中豪雨に見舞われて道路が冠水していた。

「お!見ろあそこに怪獣がいる。ヌヌ・・これは退治をせねばならぬ、いくぞサンチョパンサ、わしは突撃をするぞ!続け!」

痩せ馬の愛馬、ロシナンテにまたがりよたよたと向かっていく
集落から少しはなれた丘のうえは石ころだらけの荒れた大地、ここでは少し暖かい初夏の風が吹いていた
もともと風が強い地方らしくここに向かう途中大平原のなかに、おびただしい数の風力発電の風車の群れが
車窓に広がっている。

夢を追いかける英雄として、彼の人生はそれが馬鹿馬鹿しいことであろうが、その滑稽さと寂しいやるせなさが世界中の男の心を打ち続ける。

想い帰せば、おれもドンキホーテのような人生だった
夢ばかり追いかけて走り抜けるような生活をしてきた
数年前から起きている、体を吹き抜けていく風の感覚
ここでもそれを感じた、ラマンチャの丘に吹く風は少し生暖かく乾いた大地の匂いがしていた。



| 01.親父の「ぼやき」 02月02日 08:04 | コメント 1 通 |

- バランタイン

バランタイン
 ブログにスコッチのことを書くようになってから、お客さんからスコッチをお土産に頂くことが多くなってきた。

うちで親父が飲んでいた古いボトルだけれど、俺呑まないから飲んでなどと頂く事が多い。

先日も某病院の先生が「俺飲まないから」と持って来てくれたのがこの一本、バランタイン30年オールドボトル
ウレピイ!...○○先生大好き!

どうやらこのボトル先生のお宅の机の下で十年前から眠っていた代物らしい。患者さんか、誰かから頂いたものだという

箱や瓶の様子からすると海外で求めてきたものだと判る、おそらく免税店で求めたのだろうが、それにしてもかなり古いもの。

先日、先生から情報を得ていた怪しい製薬メーカーの営業さんがカウンタに来て「あの○○先生からのやつ飲ましてくれとの催促、

古い付き合いなので仕方がないかなどと、しぶしぶ早速封切りをしてしまった。ノースランドで彼にはおいしいバーボンをごちになったこともあるし・・

かくしてバランタインの醍醐味を味わう事と相成った。
味はマイルドでクリーミー、フイニシューはかすかにスモーキーな味が残る。何とも上品な味わい・・・シアワセ

十数種類のシングルモルトが使われているというが
バランタインはあの最後のスモーキーはアードベックだといわれている。

先日も福岡のお客さんの若い女性から、アエラ島の聞いた事もないボトルを頂いた、(ありがとうございました)

*写真は封切の前、籠太」のカウンターで

| 01.親父の「ぼやき」 01月02日 09:55 | コメント 4 通 |

- 新年にあたり

あんどん
新年明けましておめでとうございます。

昨年は皆様に大変お世話になりました。おかげさまで移転5周年に入ろうとしております。

世の中は正に何が起きても不思議ではない時代だという感じがしました。そんな環境変化の激しい時代、ここ数年常に向き合うことがあります。

この業界に身をおくようになりまして、最近つくづく思うことがあります。それは経営の目的が何なのかという自分自身に対する問いです。

以前にも増して、多くの常連のようなお客様が遠くから宿を取ってご来店いただきます。どの位いらっしゃるのか見当が付きませんがあきらかに宿代を払い、年に何度か多くの方にご来店いただているのです。

この方々の何が出来るのか、そのためにはお料理やお酒やサービスはどうあるべきなのか、自分自身への問いが続きます。

都会の雑踏で疲れたとき、ああ、会津のあの店にまた行ってみたいあのカウンターで親父さんや女将さんの顔をみながら酒を飲んでみたい、そんな事を思い起こさせるようなお店になりたいと、心から願うようになりました。

先日も毎年ご夫婦で見えられたお客様が今年、ご主人がひとりで見えられました。あれ?今日はお一人ですかと聞きましたら。家内は昨年亡くなりましたとのことでした。

以前にも同じようなことを何度か経験しておりました。
暫く姿を見ないなと思ったらこういうことだったのかと、
あとで悪いことを言ってしまったかなと思っておりました。

「でもこの店は家内と何度も通った私たちの想い出が詰まった大切な場所なのです」、といわれ言葉が詰まりました。

毎日のようにカウンターの内側から様々なドラマを見させていただきます。門の外までお見送りをさせていただきましたが、暗闇に消えていく姿にただただ感謝の想いで一杯でした。

よい想い出の場所か・・考えさせられますね。
今年も体に気をつけて元気にカウンターに立ちたいと願い皆様と再会出来ます事を楽しみに新年の挨拶といたします。



| 01.親父の「ぼやき」 10月21日 20:38 | コメント 2 通 |

- 最後の晩(会津のレモンハート)

ノースランド
行きつけのショトバー「ノースランド」が現在地での営業に幕を閉じた。

様々な事情で現在地での営業が出来なくなったらしい。
最後の晩、俺はマッカランの18年、1997年発売のボトルを呑みきると決めていた。

1年ほど前にママが私の目の前で封切した代物、11年間棚の奥に誰にも飲まれることなくしまわれていた。

それにしてもこの頃のマッカランは実に美味しい、シェリー樽の香が移り、時間が醸成した、クリーミーで膨らみのあるエレガントさが何とも素晴しい。
1979


おそらくこの酒とは日本全国じゅう探しても出会う機会はないだろうと思う。


おもえば数年前、山ちゃんが誘ってくれたおかげでこの店と出会う事ができた。すぐ裏なのに足が向かなかった。縁とはそういうものなのかもしれない。

そうそう、そういえばあの頃呑んだアードベックの17年も美味しかった。思えば親父が行く12時過ぎごろはあまりお客様の姿もなく、カウンタでマスターを話相手に一人で飲むことが多かった。

忙しいときは一人でスコッチを呑みながら、多くのボトルを眺めならが夜が深けていく、俺の孤独だけれど充実した貴重な時間でもあった。

思えば、マスターはスコッチに関して何も知らない私に、様々な事を教えてくれた。最後の晩マスターから「あなたには様々な面で相当に影響を受けた」と語ってくれたがそれは私も同じだ

新店舗は籠太まん前に来るというどうしよう・・・


| 01.親父の「ぼやき」 09月28日 16:15 | コメント 2 通 |

- 酒との向き合い方

切子
スカパーや有線放送などで「居酒屋百名店」の放送があってから同業者の方が数多くおいでになってくるようになった。

それも勉強熱心そうな30代~40代の若い経営者が多い「マスターいい酒揃えてますね~」そんな会話のうちはいい、

そのうちに「何でこんや安く売れるんですか・・」「マスターとこの販売価格よりも、うちの店の仕入れ価格の方が高いですよ。焼酎なんか信じられない値段だ」とそのうちに食って掛かるやつもいる。

何処から仕入れているのか知りたいらしい・・そのうちに話が噛み合わなくなってくる。酔った勢いで「マスターこんな値段じゃ偽物と思われますよ。相場ってものがあるでしょう相場ってものが・・俺はマスターのように安く仕入れられてもこんな値段じゃ売らないな」

この段階になると話がしたくなくなる。俺も昔こんなレベルで商いをしていた事がある。

湯の上温泉の渡辺酒食品の徳ちゃんから二十数年前に「取引の停止」を宣告されたことがある。
「お取引をやめさせていただきたい・・」
「え?どうして、」
「私はご商売の仕方に納得がいかないからです」
「どういうことですか・・」
「私は社長様にこの幻の酒と言われる定価でお渡ししております。それを社長様はいくらで販売しておられますか?」

「私がこの酒1本からいくらの利益を頂いているのかお判りですか。200円ですよその酒にどれくらい付加価値をつければ納得がいくのですか・・そんな商いに私は納得できません。」

俺は恥ずかしかった・・申し訳なかったと詫び、それから二十数年の年月が流れていった。翌日から仕入れ価格に見合った販売価格に直した。その頃から徳ちゃんは取引が不可能だといわれている銘醸蔵を次々と特約店にしていった。

彼のお酒に対する向き合い方がおのずと、全国の銘醸蔵にも伝わったのだと思う。

*写真、常陸のtono



| 01.親父の「ぼやき」 09月26日 07:51 | コメント 3 通 |

- 生ビール

生ビール
十年近く前の事だ、某有名な作家が一週間近く昔の籠太に毎晩のように来ていた。

その先生が今日で会津も最後という晩に私にこう言った
「マスター毎晩大変お世話になった。、一緒に来た仲間も大変喜んでくれた料理も美味しかったし雰囲気もよかった。

ただ残念なことがひとつあった、余計な事かもしれないが言っていいかい?」「え!どんな事ですか先生・・」するとこう言った。

「生ビールが美味しくない」、俺は言われた事に声も出なかった。あとでその先生がある雑誌に書いていた
地方の飲食店にゆくと生ビールが美味しくないと

ああ・・あのことを言っているんだなと思った。それを見て俺は悔しかった。それから生ビールを美味しくする努力が始まる。

ジョッキの洗浄、ビールサーバーの洗浄、従業員のケロちゃんが担当してくれる。

今では家の従業員がよその店に行くと生ビールが
美味しくなくて飲めないという。俺もそう思う。ビールだけ飲むのであれば俺は迷わずチェーン店に行く。チェーン店の方がはるかに美味しい生ビールを出す。

うちに来て、暇で参っとこぼす同業者の店に行くと必ず生ビールが不味い、生意気かもしれないけれど、売り上げが伸びない事もお客が来ないことも原因なんて他にない。やっている事の質が悪いだけなのだと思う

某雑誌のグルメ担当の記者は、カウンターに座り生ビールを注文してビールが美味しくなければ、取材の予定を変えることもあると話していた。






| 01.親父の「ぼやき」 09月24日 07:43 | コメント 1 通 |

- 頭が古くなってきた・・

親父12
最近気になっていることがある俺の頭の毛が薄くなってきている。俺・・禿げるんだろうか・・

鏡を見ていたら誰かに似てきたなと思った、そうだそれも俺が最も嫌いな親戚の男に似てきている。

頭髪の危機は過去にもあった、いわゆるてっぺん禿げというやつである。40代の頃 頭の頂上が信じられないほど薄かった。

当時体重が90キロを超えていた、医者には成人病の塊のようだと宣告され、血糖値、尿酸値、中性脂肪、いづれも高い、このままいくと50台でアウトだぞなどと脅かされた。

暫くは意気消沈していたが親父は自分でも恐ろしいほどの負けず嫌い、かぜん奮闘努力を始めた。女房は付き合ってられないとあきれて眇(すがめ)で口をあけている・・(いつもそうだ。。)

体重は数ヶ月で70k台まで落した。激痩せに「あの親父はまもないぞ・・ガンでないか」などと陰口を言われた。ある日行きつけの床屋に行ったら、あれ?鈴木さん頭に何かいい育毛剤をつけた・・毛が生えてきている。

「え!本当」確かにあのてっぺん禿げが改善している
暫く振りで会う人には「弟さんですか」などとよく言われた痩せた効果は思わぬところに現れてきていた。

でも50代も半ばを過ぎて、今度は頭の中心部全体が薄くなり始めている。今度はだめかと不安がよぎる・・

こ、これではチョイ悪親父を続けられないどうしよう・・
負けず嫌いの親父は課題発見!、いまにみていろ、え?無駄な努力だって・・

*写真の眺めている酒は、スコッチ、ネプラスウルトラオールドボトル。向田邦子が愛して止まなかった酒だ、エレガントな花の香に包まれた銘酒。。山ちゃん又飲ませろ・・

| 01.親父の「ぼやき」 06月07日 23:26 | コメント 5 通 |

- 白虎隊の塹壕

塹壕4
古城研究会の代表石田さんから、白虎隊が大野ヶ原で実際に使用した塹壕があることを聞いて興味を抱いていた。

ある日石田さんから声がかかり、5月の連休中に親父はそこに同行させていただいた。そこは強清水から東側に数百メートリの近い所にある。こんな重要な場所が史跡に指定されるでもなく放置されている、夏になると藪になり所在さえもわからなくなる。

草原を断ち切るかのように立ちはだかる小高い丘のような所に数箇所、誰が考えてもここに陣を敷くのが当たり前だと思うような場所、ここが会津藩の防衛線であった。

後に藩士が残した図面から石田さんはその場所を特定したのだと言う。小高い丘の上に陣取る会津藩、佐川官部衛を中心とした主力部隊がその場所に布陣した。

そこから100メートル先ぐらい東側の少し離れた見晴らしのよい場所に白虎隊の塹壕は掘られている。

石田さんはこの遺跡を残すのは、会津人の使命だと思うとはなしてくれた。俺もそう思う。

塹壕からは敵の本陣の山が見わたせ。そこには板垣退助を中心とすると西軍がいた。塹壕に入ると大野ヶ原が一望に見渡せる。

塹壕の中に座りながら雨の中に敵と対峙する少年たちのことを思い目頭が潤んできた。

恐怖と会津を守り抜かなければならない使命感、いったい何を守ろうとしたのか、まだ春の芽吹きもそこそこの大野ヶ原は快晴、まだ冷たい風が吹いていた

| 01.親父の「ぼやき」 05月07日 23:38 | コメント 1 通 |

- 時代が変る4

鶴ヶ城
誇りある歴史と伝統のある城下町、この町の男たちはその誇りと自信を失い始めている。

今まで自分たちを支え、生きて行く上での必要不可欠の価値観が何の意味を持たないと感じ始め、そして自分の生活を脅かし始めているからだ。

会津では20世紀後半に急成長した、ビジネスモデルのような会社が21世紀に入り次々と消えていった。男たちはいったい何処に問題があったのだろうと頭を抱えている。

世の中は何でこんな事になってしまったのか、今まで男たちの価値観は会津の城下町のいい高校を出て、大学に行き、いづれは跡を継ぐからと親の商売や自分の関連した会社に勤め数年を過ごす。

田舎に帰ってからは、親の元気な間は専務か何かの役職を名乗り跡を継ぐ、地元の若手経営者が集う「青年会議所」にはいりその跡はロータリークラブとかライオンズクラブに入るのが定石だった。

そのうちに商工会議所の委員になり、なんとなく過ごせば商売は安泰気軽に暮らせるはずであった。そんな中で「価値」を持っていたものはこの町の名門高校を出たという学歴と血筋を基本にしたコミニティーを大切にする事。その一員であれば何とかなるとという価値観があり、そのコミニティにいれば安心して生きていけるという安堵感があった。

それを守るために人間関係の序列や先輩後輩という様な関係がつながりを生んでゆく。会津に多い「無尽」はそういった様々なつながりを利用して組織される。

情報を仕入れたり、価値観を共有したり醸成するための
格好のシステムであり。「無尽」があるなしに関わらず、問題が起きることはなかったa。

しかしそのコミニティーの崩壊が始まった、この地域を支えた社会システムの破壊は、別に会津だけで起きているわけではなく、日本全国の地方都市で同じような事が起きている。

コミニティーのあり方そのものに、時代の変化に伴う問題が起きはじめているといった方がいいのかもしれない。特にインターネットは市場の主導権をお客様が握る事に大きな変化をあたえてしまった。

インターネットの影響による市場の変化は衝撃的に拍車をかける21世紀に入り情報化社会が本格化してきた時にじわじわと問題がおき始めていた。その影響が本格化してきた。実にインターネットは衝撃的だ。

この衝撃は、従来の商習慣やそれを支えたシステムをを壊滅的に破壊し、音を立てて崩れ始めているといってもいい状況が生まれている。



| 01.親父の「ぼやき」 04月28日 00:51 | コメント 1 通 |

- 時代が変る3

たそがれ
ここ2,3年でインターネットをめぐる環境も激変してきた。つい数年前ま会津若松郊外には国道沿いに家電やを始めとする
大型店の出店ラッシュが続いてきた。

ところが昨年辺りから、これらの出店ラッシュにもかげりが見え始めている。2008の今、それらのお店の撤退がまことしやかに囁かれている。

それらの噂を聞いていて、俺はいよいよ来たかと思った。20世紀型の大型店商法が採算が取れなくなってきているのだろうと思う。

俺が良く利用するある旅行代理店はインターネットで集客に成功し、今年辺りは販売実績でJTBをぬいてTOPに躍り出たという。

昨年スペインを旅行した時に、行く先々で一緒になる
日本人のツアー客とスペイン新幹線の食堂車で話していて愕然とした。同じ日程で泊まるホテルもほぼ同じなのに旅行代金だけは私たちの倍近い価格で来ているというのだ。

営業所と極力持たないでインターネットで集客してお客様に還元するそのやり方が指示されないわけがない
こんな問題は様々な業態でおきている。

いい例が「銀行」だろうネットバンクが従来の銀行の預金を上まるのだって時間の問題だろうと思う。20世紀に構築された町の様子はあと10年もしないうちに一変するかもしれない。

そういえば、こんな話を会津大学の初代学長は話をしてくれていた

東京の雑踏の中に何時間も佇みながら物を考えるのが好きだ、一日数十万の人が行き来する、八重洲口、コンコースを流れるように移動してゆく人の流れを見ながら、昔から様々な事を考えてきた。

「俺はこれからどう生きてゆけばいいのだろう。」「このお客様に会津の自分の店に来ていただくために何をすればいいのだろう」 いつもこの場所で考える事から自分の行き方を見つけてきたような気がする。生きかたに迷うといつもこの場所に来ていた

*写真、茨城平塚さん


| 01.親父の「ぼやき」 04月10日 08:08 | コメント 3 通 |

- 時代が変る2

turibito
敵に向かい駱駝に乗り刀を振り回して突撃をする。確かに勇ましいが、敵は巡航ミサイルを持つ近代化された軍隊だとしたらどうなるのだろう、今の世の中では目には見えないが同じようなことが起きている。

ロシアの近代兵器で武装したイラクのサダムフセインも、性能で差があるアメリカ軍には手も出なかったではないか。

こんなに商売がやりにく時代が到来するなどと誰が想像しただろうでも俺はそんな時代が来ると何となく10年前には感じていた。

あるとき出来たばかりの会津大学の学長がお客さんできていたので、聞いてみたことがある。「先生、これから時代はどうなるのでしょうか?」

もうなくなった学長は親切に情報化社会はこうなてゆくのだと教えてくれた。その晩俺は興奮してなかなか寝れなかった。それが俺がコンピューターと向き合う切っ掛けだった。

それからの俺は亀になった。のろのろと歩きながらコンピューターと向き合った。亀といえば呼ばれた講演でこんな話をした。

「ウサギと亀が駆けっこをしました。なぜ亀さんが勝ったのでしょうか」「私はこう思います。それは見ていた場所が違いということではないでしょうか、ウサギは早いように見えるけど後ろ足で立ちながら後ばかり見ている。亀は前しか見えない。後ばかり見ていて過去の成功体験ばかり懐かしんでいても私は勝てないと思う。」会場で居眠りをする人がいなかった。

日本人は20年前の数倍のコーヒーを飲んでいるというでも喫茶店は壊滅状態だ。20年前に比べると寿司屋も数は激減した、でも日本人は20年前に比べると3倍以上の寿司を1年間に食べているという。

コーヒーを飲む場所も寿司を食べる場所も変化したのだという事だと思う情報化社会は様々に市場を変えてきた
会津若松にまもなく本屋がなくなるかもしれない。
会津に旅行代理店が消えるのも時間の問題だろう
町の中から様々なお店が消えてゆく
まったくやりずらい、誠にいやな時代が来た、それが話しを聞いてくれた人の感想なのだろうと思った

| 01.親父の「ぼやき」 04月08日 09:01 | コメント(0) |

- 時代が変る

親父
最近会津でもかっては超繁盛店だった居酒屋やすし屋などが次々と消えていっている。

会津を代表するとまで言われたある居酒屋が、最近突然廃業した。しかし暫くしてその空き店舗に入った居酒屋が、リニューアルしてきれいにして名前を変えて始まったと思ったら3ヶ月もしないで廃業した。

大型チェーン店の出店による攻勢や、今度の石油問題のあおりを受けて、又様々な理由でやりきれなくなっているのだろうと思う。この前も同業者が来て流れが変ってしまったとぼやいていた。恐ろしいスピードで商環境が変化していっているのがくわかる。

NHKの経済番組で世界の長寿企業の70パーセントが日本にあると報じていた事がある。その中である貴金属工業の会社の話が出ていたが、江戸時代に両替商から始まって明治期には金の延べ棒を主力商品として商い今の主力商品は金を使う携帯電話やコンピュターに使用するICチップだという。

時代の環境変化に対応して成長する見事なビジネスモデルだと思う。経営が思わしくなくなりそれとなく相談に来る同業者も多いが、多くの場合本人がなるべくならば、昔成功した時代と同じ方法で、楽な方法で解決したいと思っていることが垣間見える。

このまえもある同業者の組合の総会に講演の講師で呼ばれた。親父の携帯電話はインタネットの籠太のホームページから予約をすると携帯のメールに転送するようにしてある。

ちょうど講演中に予約が入ってきたので、最前列にいる若者にそれを見せ、講演中にお客様にその場で返事を書いて返信するところを見せた。

その間1分、そのあとこう話をさせていただいた。「いいですか、今私は予約をいただいたお客様に1分で返事を書きましたね。それでは皆さんにお聞きしますが1分で返事をするお店と3時間後に返事をするお店、どっちが勝つんですか・・」

これは織田信長が武田勝頼と長篠の戦と同じだと話した。天下無敵と歌われた武田の騎馬隊を鉄砲で破った。コンピュターがいじれないなどと言ってられない時代なんだと話をしたが女性と高齢者が多かった会場は半ばあきらめにも似た雰囲気に包まれていた


| 01.親父の「ぼやき」 04月01日 09:43 | コメント 3 通 |

- せめてなりたや・・2

バー
年末には二十年ぶりに新車を購入した。若い頃に乗っていた「赤いスポーツ車」とまでは行かないが年に不似合いな、車を購入したらしく若い者から似会わないなどと陰口を言われている。

そして友人たちは俺のエアロ姿を想像し、店のカウンターの前に来てげらげら笑う格好の酒の肴だ。笑われようが陰口を言われようがなんのその

ジムで知り合った仲間からは「いつのまにかスタジオデビューしているんだから、でも動きが何だか変だぞ」などといわれる。

何を言われようがようがおぼつかない動きも気にせず、足を上げたり腕を上げたりしている。先日知り合いの女性から「あら!真也さんいつのまにか7歳くらい若返ったわよ」などといわれて、親父は単純だから舞い上がるように喜んでいる。

還暦を数年後に控えた中年親父もうやけくそだ。今年もサラリーマン川柳に応募してみようと川柳をつくった、?披露しろだって、こんなのでどうだ・・

「近頃は、義理チョコさえも 来なくなり」誰かチョコレートくれ・・そういえば二年前の作品にこんあのがあった「年毎に、布団の距離が 遠くなり」なかなかのもんだろ・・もう俺んちなんか五百メートルもはなれてしまているぞ。

若い頃から「破壊」と「創造」の大好きな俺はいつの時代も「これからの時代はこうあらねばならない」とまくしたてていたと友人はゲラゲラ笑う。笑われようが何を言われようがチョイ悪親父願望の俺は「エアロ」に通うのだ。何言ってんだろう俺




| 01.親父の「ぼやき」 03月10日 14:47 | コメント 41 通 |

- せめてなりたやチョイ悪親父

親父と海
 俺は以前から血圧が高い、。ここ十年くらいどうにもこうにも、医者から出された降圧剤を飲んでも血圧が下がらない掛かりつけの医者にいったら運動を進められた。

せがれや家内にも勧められ、しぶしぶスポーツクラブの門を叩いた。意外な事にそこで待ち受けていたのは「美人のかわいいトレーナー」親父はすっかりやる気を出してスポーツジムに朝から通い始めることとなった。

最初は軽い運動から始まり、三ヵ月後の今は毎日六十分の早足ウオーキング。様々な筋トレ、十時からはお姉さんやおばさん達に混じって「エアロビックス」ときたもんだ。お姉さん達に囲まれながら、幸せのこころなのだ~。(小沢昭一的だな・・)

運動を終わるとリクラインニ ングルームで筋肉をほぐし、シャワーを浴びサウナで汗を流してかえる。何よりもスポーツジムを出る時のあの爽快感がたまらない。

降圧剤を飲みはじめてもう十年はたつだろうか、あれほど下がらなかった血圧に異変がおき始めた。運動を始める頃から録り始めた毎日の血圧記録は、スパイラルを描きながら確実に下がり始めてきたことを示している。

体にも変化が起こり始めた。あの「とど」のようなお腹だと妻にからかわれたお腹がへこみ始め、筋肉が見え始めてきた。もう入らないと諦めていたズボンがはけるし、しばらくぶりにあった人から「近頃若くなったわね」なんて言われると気持ちはすっかりチョイ悪親父になっている・・・続き

| 01.親父の「ぼやき」 01月10日 22:45 | コメント 223 通 |

- ボルスジェノバ

ボルス
美味しいジンをあると、若い頃お世話になったバーのマスタにこのジンを教わった。

ボルスというオランダのメーカーが作るものだ。あるときに近所のショットバーノースランドに行ったら、見覚えのある砲弾のような陶器のボトルがカウンターの上にそれも20年物のボトルがおいてあるではないか・・

それから1年以上この酒がカウンターの上においてあってもなかなか手が出せないでいた。誰も飲んでいる様子は無い。この酒を知った時代苦い想い出がある。

若い頃お世話になったあのバアーで、カウンターの隅で涙を流しながら何も話さずにこのジンをロックで飲んだことを思い出す

当時師と仰いだ人に誤解されて、いわれのない嫌疑をかけられ、誤解を解けずに会えなくなってしまうことがある。尊敬していただけに何の言い訳も聞いてもらえなかった事にやりきれなさだけが残った。

後で判ったことなのだが、お人よしの俺は知らない間に組織の中で悪者にされていたのだ。葬式にも墓参にもいけなかった。

あれから20数年、当時の私のようにカウンターで若い人がカクテルを飲んでいる姿を見ると、ああ・・俺にもあんな時代があったよなと妙に懐かしくなる。

この前、久しぶりにボルスのジェノバを飲んでみた。独特のハーブと松の種類かと思うような香気が記憶を呼び覚ます。誰にも悟られなかっただろうが涙が潤んで仕方がなかった。

 
©Kagota. + powered by The Designium.